B.K.S.Iyengar氏(グルジー)は自分自身が指導者であると驕ることなく、いつも謙虚に修練されていました。指導者であるまえに生徒だったのです。

生徒として成熟していくこととは何か。
そして良い生徒とはどのような生徒であるか。Zubin先生も問われていたことがあります。

ヨガを長く続けていることが重要とは限りません。
場合によっては、自身の練習や思考が機械的になっていないでしょうか。
マシーンであればプログラムに従って正確に動作することが重要かもしれません。

しかしながらヨガの修練ではいかがでしょうか。
ヨガ始めた頃(初心者)は姿勢を理解する為に一生懸命に行います。
そのような時、本人に意識がなくとも身体だけではなく呼吸、心、意欲等、多くの事が関わっています。

長年行っているから、慣れ親しんだアサナを思考なく、繰り返し機械的に行った場合、どれだけ身体、呼吸、マインドを関わらせて繋げることができ、どれほど自己分析や内観できているでしょうか?

機械的にアサナを行う熟練者と迷いながらも一生懸命行っている初心者ではどちらが深い練習になるでしょうか?

ベアリングは精度の高いボールが動き摩擦を減らします。正確どころか精度が要求されます。
遥か彼方(右下)に科学都市インダストリアのような機械的造形物が。アップにしないと見えず

実際は精度も重要な風力発電群でした
今、悪い意味で話題ですね

できるかできないかの身体面、表面的な部分が素晴らしいポーズに見えて、見た目が成熟しているように見えたとしても、ヨガアサナでは身体面だけではなく、生理的な部分、呼吸、心理的、精神的、知的に至りかかわります。

グルジーがヨガの指導を始めた当初では、ヨガアサナは曲芸のように思われアイアンガーヨガはアサナの事ばかりでPranayamaであったり心理的、精神的、霊的にヨガを行っていないと言われていたそうです。

実際はそうではなことが分からない際には、他流派のヨガの指導者であっても現在はバイブルにもなっている「心のヨガ」や「ハタヨガの神髄」等を熟読してください。

現在ではAI機能が向上し機械的な回答は人間より間違えないかもしれません。
しかし、昨今話題のAIなどから指導してもらいたいでしょうか。
機械的な指示からどのくらい知識と経験が得られるでしょうか。

人間はそれを超えて自身を感じて思考し分析し記憶することができます。
身体の粗大な部分、粗大な質だけでなく、微細な質においても経験を記憶します。
そのような経験や理解から指導や練習に活かすことは機械には不可能です。

ヨガの修練から身体の癖だけではなく、思考の癖、意識下、又は無意識下だとしても徐々にその理解を深め、日常生活においてもそのような癖などがかかわっている事を理解する事が大切です。

道具は使う物であって、使われるのではない
乗る物であって、背負うものではない

ベアリングと言えば、学生時に 〇〇製作所と言うところでアルバイトをしていたことがあります。
マシニングや旋盤で車の部品やバイクの部品を作っていました。
そこでは、部品によって1/100mmとか1/1000mm(桁違いか?失念しています)の精度が求められていました。
繰り返し正確に動く機械の精度は気温にも左右されるので、昨今ではさらに大変かもしれません。
ちなみにロシアではベアリング自体の製造ができないそうです。日本の技術は凄いです。

B.K.S.Iyengar氏(グルジー)は自分自身が指導者であると驕ることなく、いつも謙虚に修練されていました。指導者であるまえに生徒だったのです。

謙虚でいる事は自身を知る為にとても大切なことです。
自身で感じ経験し、思考し、それを自己の物にしてください。

The art of teaching is tolerance. Humbleness is the art of learning.