今月からインドのお師匠様に火が付いたようで、走る日々へと突入しました。
アイアンガーヨガは学び続ける事が条件とされています。
実際は当然至極のことで、資格を取るのは学び続ける為であり、さらに深く学ぶための一歩です。
とは言え、オンラインになり通常の学ぶのレベルはとうに超えて咀嚼する暇もないくらいで‼︎
簡単に勉強になったと言う人もいますが、それは勉強ではなく「やりました」に近いのかと思います。
味見をしても深い味わいを知るには自己探求が必要なのです。
それはさておき、昨晩のセッションでActiveなHalasanaを終えた後に、Yoga Sutra の 3章 Vibhuti Padaを用いた表現が印象的でした。
ヨガ・スートラの3章 Vibhuti Pada では、達成したことによってもたらされる力に関して言及されています。
3-16~50 はその力に関する言及で、様々な力が発現すると言われています。
3-17 sabda-artha-pratyayanam-itaretara-adhyasat-samkarah tat-pravibhaga-samyamat-sarva-bhuta-ruta-jnanam
ヨガの修練を通して、全ての生き物の言語が分かるようになるという事が言及されています。
翻訳されているヨーガ・スートラの多くは、超能力に関して、たいてい意味不明になり、超人なのか???の印象かと思います。(ニーチェ先生が言っている超人意味とは違う意味です。)
一部のヨガスートラを比べたものを下部に記載しました。
Active Halasanaで「Come Back」と声をかけた後、
○ Zubin 先生 曰く
英語が分からない人でも「Come Back」 と言うと、その意味が分からない人でも通訳がされる前にポーズをやめる。
この言葉の意味することを理解できる。言語は関係なく、言語の前には感情が発せられる。
何かを表現する時には音が存在する。
言語が分からなくとも、言葉の裏にある感情を理解する必要がある。
カップルが喧嘩していても、その裏には愛がある。
言葉の裏にある事を理解することが大切。
同じようにアクションの裏にあるものを理解することが大切だと言い、Vibhuti Pada 3-17を引用して、日常でのかかわりを指導してくれました。
(間食カップル?! ハンピの奥まった遺跡の中にいて、こんな奥地で食事???)
札ヨガではCome Backを言わずともポーズを解放する超人もいます。
ニーチェ先生の言われる超人的な感じ?いやいや、どちらかと言えば、この場合ライオンでしょうか(笑)
分からなければ、自身で調べると興味が湧きますよ。
(これはカンニヤークーマリーのライオン?悠然としています。)
有名な著書で、各々のVibhuti Pada 3-17を比べてみましょう。
○ インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨガスートラ(スワミ・サッチダナンダ著)
「通常は、語と、その意味と、その語の表現内容とを混同するために、混乱が生ずる。いかなる生類により発された語〔あるいは音〕でも、それにサンヤマを施すことによって、その意味を知ることができる。」
○ 解説ヨーガ・スートラ(佐保田 鶴治 著)
「言葉と、言葉の表現する客体と、言葉の表象内容とを混同するために、混乱が起きている。これら三者の区別に綜制をほどこすことによって、あらゆる生き物の叫び声の意味が分かる。」
サンマヤ=綜制
○ Light on Patanajali Yoga Sutra(B.K.S.Iyengar 著)
「通常、言葉、その本来の目的と意味、その現代における使われ方、を区別したりしない。平均的知性を持っている者は、それらは一致していると考える。しかし、発達し洗練された知性は、言葉の音、言葉の意味、言葉の感覚が何を伝えているのかを深く理解することが出来る。完成したヨギは、あらゆる生き物が発する言葉(音)を直観的に認識し、言葉(音)の意味と感覚の違いを明確に見分けることができる。」
LOYに関しては多くの解説されていましたが、半分ほど記載しました。
グルジーの解説がもっとも心に浸透します。