頻繁に変な題名だなと思う。
結局、書きだしたときと書き終わる時では、ときめき、閃きが変わるので、題名も変わっていく。出先からの場合は画像処理ができないので、ある意味楽に書いていきます。今日のお題(笑)
自分にとって都合よく物事が働いているときは問題を感じないが、都合が悪い時には問題となる。それはどのようなときか。
都合と言ってもさまざまな事象があると思う。
自分から発するものごと、つまり内部から外部に向けるうちは一見問題を感じないかもしれない。
分かりやすいのは、外部から内部に向いた時に起こる事象。
自分の意見に対して対立する。能力を認めてもらえない。サイズが合わない。欲していたものと異なった。無視される(笑)等々。様々あります。
外部は自身に対する隣人、他人だけではなく、実際は自身にも隣人がいます。隣人?他人?主体と客体と言った方が分かるでしょうか。
何処かを怪我した時、どこぞが動かない、自由が利かない時、場合によっては自分の発したこと、思考に関しても不都合を思うはずです。
それにも関わらず、都合によって自分の物、自分の事。私のベルト、私のブランケット、私のボルスターとなる。
都合が悪くなると、脚が動かない。伸びない。身体が動かない。体が疲れている。気持ちもまたそうなのですが。
一般的には、そのように思いますよね。
誰かの口から出ているのを聞くと「それそれ」と思ってしまう時もあります。
アサナでは体だけを使用して行うと思っているかもしれないが、体だけでは動かない。
そんなに都合主義では動かない。
身体が動く為には全体が働かなければならない。
身体にも外側の肉体部分、生理器官や呼吸器だけでなく、思考や決定も必要です。そして意識の有無もあります。
ただ外部的なものではなく、呼吸器、循環器、生理器官、排泄器官や心理的、精神的などなど、ヨガ的に考えれば単に骨格レベルでは考えていないのです。
外側から、いかに内に最深に浸透させてアサナを行うことができるかも大切なことです。
ヨガは自身を知る方法、そして意味を教えてくれます。
外から内へ、内から外に向けて。