ヨガを行っていても、どこか調子が悪い痛い等の問題を抱えることもあるかと思います。
一般的には痛みが具現化していくことの対処として、病院や診療院に行ったり、何かの資料やインターネットで調べたりすると思います。

Yoga Sutra(ヨーガ・スートラ)のなかで、Patanjali(パタンジャリ)は具現化する以前、潜在的なうちから対処していくことを推奨しています。
練習でも正しい痛みなのか間違った痛みなのか理解していくことも必要で、病院やネットで調べても計り知れない領域です。例えばSetubandha Sarvangasanaにおいて、手首の痛みを超えることでもたらせられる空間や軽さを知れば、その意味も分かると思います。

身体に問題を抱え、解決策をZubin先生に聞かれる生徒も多々いますが、先生は簡単に解決策を与えることはありません。
その問題の質問が上がったときに、僕もあの方法、この方法と思い浮かべていきますが、「身体」と言う言葉一つでも、人それぞれ問題の抱え方は異なるので、多様な状況をイメージします。

例えば膝の痛みと言っても、内側であったり外側、後ろ側等々であったり、さらには痛みの強度にもよっても異なります。

時に一つの方法論を与え、権威者(よくラベルと言います)の言葉を信じて観察することをやめて妄信的になる生徒もいると思います。
それは自分の為のヨガなのか。一つの方法が絶対という事はあり得ません。
それを感じるのは自分自身です。
Vasanaという「良い」と「悪い」を意味するサンスクリット語がありますが、どちらであろうと観察する事が大切です。

先日、海外のセッションの際に〇〇がどこまで完治したら〇〇アサナの練習をしてよいか聞いていた生徒が居ました。
Zubin先生は「それは分からない」と言いました。
それは突き放す意味でも、何も分からないの意味でもなく。。
大切なのは、どのタイミングで行えるか見極めていくのは自己の感覚しかないことを伝えていました。

病院でも2週間くらいしたら、〇〇しても良いと言われても、何月何日何時からOKなんて答えは出ません。
場合によってはAを行えばBには良いけど、Cには良くない。A’を行えばCには良いけど、Bには良くない。
どちらにしますか?
なんて言われたことはないでしょうか。
歯医者さんで言われた経験があります。(笑)

身体は素直ですが、時には奔放です。
小さな子供と同じです。必要のない時には手を出しすぎず。
身体をよく見て、観察し、見極めて、必要としているものを与えていくことが大切です。

ヨガは柔軟性であったり、アクロバティックなことを求める事では決してないことが分かると思います。

時には見守り、時には抱きしめるように大事にすることです。