掌の動きを考えると握るのはスムースに出来るが、しっかり開く動作はに鈍い感じ。と思いつつ。
Savasanaを観察していると掌が閉じてく人と、開いたままの人がいます。
日常的には握る、掴むことが多く手のひらは閉じる傾向があり、GIVEしやすくなっているのは言うまでもありません。
出産時、赤ちゃんの手は握っているような感じになっていて、産後も把握反射を行います。
把握反射することで運動神経が向上されるとも言われています。
赤ちゃんは意識は無くとも何かを理解したいのかも知れません。
そのために運動神経を発達させ、徐々に四肢を発達させるのか??
(☚ 赤ちゃんと同じく、頻繁に背負われていた画 )
英語でGrapsは「しっかりと掴む」ですが、「理解する」、「把握する」などもありますね。
与えてもらった知識をしっかり掴む。つまり理解していくことが大切です。
英語でGrapsは「しっかりと掴む」ですが、「理解する」、「把握する」などもありますね。
与えてもらった知識をしっかり掴む。つまり理解していくことが大切です。
Holdは掴むで、しっかり掴むというニュアンスより「緩い掴む」のニュアンスと「保持する」意味合いがあります。
つまり、学んだことを緩い感じで掴む、または知識を保持する。のような感じでしょうか?英語が得意な方は突っ込まないでください。
その様に考えると、知識を緩く掴む、又は保持するでは、理解に達することはできません。
手で考えると「理解する」ためには、しっかり掴むための手の動きや腕の力等々も必要で、そのためにしっかり掴めるようになるためのスタミナが必要です。
つまり繰り返し行うことです。
[鎖をしっかり掴んでますが、鎖を頼りにしすぎてはいけません。逆光で見にくい ⇗ ]
レッスンで、ただ指示されたことを行い汗をかく、身体を単純に動かす。その時は楽しいかもしれません。
しかし、自身に何が残るのか? ヨガは学びです。
自身の知識になり、知恵へと発展するきっかけを貰えているのか考えなければなりません。
B.K.S.Iyengar導師(グルジー)は先生が生徒を選ばなければならない。と言います。
昨今は生徒が先生を選ぶのですが、単に先に生まれたから先生であるわけでもないので、生徒の方が正しい認識と直観力を持ち見定める目が必要になる難しい時代だと思います。
簡単に知識を得られる時代になりましたが、実際どのくらい行えているのか。
与えてもらってばかりではないのか。物が溢れかえって失念していたら、それは要らないものと同じです。
話は飛びますが、我が実家にはジャングル(草木が大いに生い茂っている家)があります。
帰省した際に、おふくろに「あれを切っ良い?」「あれは?」「あれは?」と選定と名づけた伐採を行っていました。
おふくろは「それは○○だからダメ!」、「あれは○○だからダメ!」。。。。
どれ切って良いのさ!っと心に留める事無く言ってしまうのだが。
「では、あれは切って良い?」そう言った後におふくろが「それ何だろ? う~~~ん。寂しくなるから、やっぱりダメ!!」と言います。何だろとは???!!!驚!!
どれも切れないと思うかもしれないが。そうではない。
「おふくろさ、名前を覚えてない友達は友達か?そんな友達は友達ではない。本当に必要なのかい?」
という事で、しぶしぶ承諾させて伐採作業は進むわけです。(笑)
[上の画と同日。前半調子よくジャングル探索したのだが、お疲れでバックインに]
僕は100人の友達よりも、少数精鋭で良いので本当の友達が居れば良いです。
学んだことも同じです。沢山知識を分け与えてもらえているのに、忘れてしまったら。
それは本当に友達ですか?騙されてませんか?と、言われてしまいそうですね。(笑)
学んだ知識、アサナもアクションも呼吸もマインドも身近で大切な友達にしてください。
[星の王子様 は聖書、マルクスの資本論の次に販売された本だそうです!!]