期待することに関して考える。
何かを作成する。何かを行う。物事にかかわる。どれも期待してしまうかと思います。
某大手のヨガスタジオで働いていた時もアンケートに「生徒に期待していますか?」の質問がありました。
期待度がゼロかゼロ以外なのかで考えた場合、ゼロではないので「期待する」にしました。
期待の一言ですら頻繁に熟考します。期待という感情は自己の中にあり、自身が向かっていくことで感情という泥沼に自ら足を入れてしまう。
時には、見たくないと思いながら見たくないニュースを何度もチェックし、時間がもったいないと思いながらもSNSをチェックしてしまう。思っている以上に思っているのです。空気であれば、空気と思うことも無く、認識しないし意識もしない。水に潜ったりしない限り。。。
[比較的最近作成したHalasana Box]
先生が「あなたたちはGIVE・GIVEばかりするが、TAKEしていますか?」と(笑)
このように言われたのは、前のクラスで行った事を取り入れて行う際に、すっかり忘れていた生徒さんが居た時でした。
つまり、知識を得ようと期待ばかりするが、その得たものを自己に反映させるほど行ったかという事と、貰ってばかりの話ですが(笑)
多少なりとも先生の期待も込められていると思います。しかしながら、先生はいつも期待しないと言っています。(笑)
珍事ではありません。札ヨガのスタジオでも頻繁に起こる現象です。。。。胸に手を当ててみてください。
[何もかも忘れても良い。あくび]
期待しない。ではなく、大切なのは「見返りを求めない。」ことだと思います。
Action にはReactionと良く言われますが、何かを行うには行為が必須なのも確かなことです。
ですが、その行為の結果ばかりを求め、行為に対する見返りや期待を求めるので不平不満が起こります。
ヨガにおいても同様で、身体を変えたい、何らかのアサナが出来るようになりたい等など、ヨガの無限の可能性に対する対する期待も計り知れないですが、期待が増大しすぎて無いでしょうか?
行為より期待が勝ってないでしょうか?
[関西教室に2週間ほど突撃していた際の画。実行あるのみ]
今の瞬間に行えること全力で行うことが大切で、その行為が感動や美しさとして印象から具現化していくのです。
結果を求めるだけでなく、その経過に何を見出せるかも大切なことでヨガにおいても大事なことです。
行為の結果の良し悪しは、後についてくるものです。
期待は近くに寄り添っていても、傍観者として扱うと楽かもしれません。
アイアンガーヨガは真の探求もしかり、その途中経過も存分に楽しめる素晴らしいヨガです。
期待してしまった人にとっても、それを上回るほどの恩恵を徐々に与えてくれる、そんなヨガです。